島津義弘の新兵器と情報網
島津義弘率いる薩摩軍が関が原の戦いで千余名でありながら敵中突破できたのは、
新兵器と情報網の活用に負うところが大きかったと思います。
薩摩軍では足軽だけでなく全員が鉄砲を装備しており、しかも実戦経験が豊富で
あったため、雨中の射撃習熟していました。大砲も実戦に使用しています。
また、信長や秀吉に弾圧された根来衆や堺の商人衆に諜報活動を依頼していました。
鉄砲や大砲といった新兵器を取入れて習熟する、様々なチャネルから情報を集める、
これらが生き延びることができた大きな要因であったと考えます。
島津義弘は、秀吉と和睦交渉をした際の秀吉側の使者だった木食上人に、諜報網
作りを相談します。木食上人は根来衆の活用を勧めます。
(敵方からも)謙虚に学ぶこと、これが新兵器の採用や情報の活用に必要な
ことだと思います。